| Introduction 序盤アウトライン: |
| 1897年5月、トランシルヴァニア。英国人の弁護士ジョナサン・ハーカーが、不動産仲買の商談でドラクラと名乗る老伯爵の住む古城を訪れる。契約を纏めさえすれば出世も約束されていた中、婚約者ミナとの結婚を間近に控えるジョナサンは伯爵との商談を瞬く間に成立させるが、それはジョナサンにとっての終わりなき悪夢の始まりだった。やがて、残忍な3人の女吸血鬼の餌食となったジョナサンは、5世紀にもわたり吸血鬼として生き永らえる伯爵の恐るべき魔力を目の当たりにするが、一方、ジョナサンの婚約者ミナを生前の妻の生まれ変わりと信じる伯爵は、ジョナサンを城内に監禁する中、ミナを略奪すべくロンドンへの大移動を開始するーー |
| Various Note メモ: |
| ブラム・ストーカー(Bram Stoker)の小説を基に「フック (1991)」「コンタクト (1997)」「奇跡のシンフォニー (2007)」のジェームズ・V.ハート(James
V. Hart)が脚色。監督は「地獄の黙示録 (1979)」「ゴッドファーザー」シリーズのフランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford
Coppola)。衣裳デザインは「クローゼット・ランド (1991)」「ザ・セル (2000)」「落下の王国 (2006)」の石岡瑛子。東欧文化に着眼するエキゾチックなスコアは「太陽の年
(1984)」「死と処女 (1995)」「ある貴婦人の肖像 (1996)」「戦場のピアニスト (2002)」のヴォイチェフ・キラール(Wojciech
Kilar)。 |
主演は「シド・アンド・ナンシー (1986)」「ステート・オブ・グレース (1990)」「JFK (1991)」「不滅の恋 ベートーヴェン (1994)」「レオン (1994)」のゲイリー・オールドマン(Gary Oldman)。主な共演は「シザーハンズ (1990)」「恋する人魚たち (1990)」「悲しみよさようなら (1990)」「ナイト・オン・ザ・プラネット (1991)」のウィノナ・ライダー(Winona Ryder)、「八点鐘が鳴るとき (1971)」「ジャガーノート (1974)」「エレファント・マン (1980)」「羊たちの沈黙 (1990)」のアンソニー・ホプキンス(Anthony Hopkins)、「殺したいほどアイ・ラブ・ユー (1990)」「マイ・プライベート・アイダホ (1991)」「ハートブルー (1991)」のキアヌ・リーヴス(Keanu Reeves)、「広告業界で成功する方法 (1989)」「愛と野望のナイル (1990)」「L.A.ストーリー 恋が降る街 (1991)」のリチャード・E・グラント(Richard E. Grant)、「ブライド (1984)」「オックスフォード・ブルース (1984)」「グローリー (1989)」のケイリー・エルウィズ(Cary Elwes)、「勇者の黙示録 (1981)(未)」「ロケッティア (1991)」のビル・キャンベル(Bill Campbell)、「ダイヤモンド・スカル (1989)」「ザ・クレイズ 冷血の絆 (1990)」のセイディ・フロスト(Sadie Frost)、「ランブルフィッシュ (1983)」「アウトサイダー (1983)」「フィッシング・ウィズ・ジョン (1991)」のトム・ウェイツ(Tom Waits)、「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう (1972)」「シャンプー (1975)」のジェイ・ロビンソン(Jay Robinson)、「エド・ゲイン (2000)」「マイノリティ・リポート (2002)」のナンシー・リネハン・チャールズ(Nancy Linehan Charles)など。ドラキュラの3人の花嫁を演じるのは「モニカ・ベルッチのエッチなだけじゃダメかしら? (1992)(未)」「モニカ・ベルッチの情事 (1992)(未)」のモニカ・ベルッチ(Monica Bellucci)、イスラエル出身のスパーモデル、ミカエラ・ベルク(Michaela Bercu)、"With Criminal Intent (1995)"のフロリーナ・ケンドリック(Florina Kendrick)。
以下、完全ネタバレ。未鑑賞の方はご留意下さい。 |
| さまざまな映画レヴューなどを見ても「原作を忠実に再現する脚色」と謳われる1本だが、登場人物についても、さまざまな脚色版でもおなじみのヘルシングやレンフィールド、ジョナサンとミナ、そしてルーシー等のキャラはもとより、セワード医師やアーサー・ホルムウッド、キンシー(クインシー)・モリスなども原作と一寸違わぬ名前で登場する中、キャラ色の方もほぼ原作に同じ。となれば、やはり原作には忠実だったと云う事にもなりそうだが、如何せんここでのテーマは、伯爵とヒロインの5世紀もの歳月を越えた大ロマンス。原作の場合、隔離病棟を訪れたヒロインのミナに対して「うちの先生が結婚しようとしていた人じゃないやね?」と云うレンフィールドのセリフが唐突な形で飛び出すが、実は伯爵とミナの接点らしきモチーフと言えるのも原作ではこの1行だけ。伯爵とミナのロマンスは残りの段落でも一切描かれる事はないが、そもそもの話、ストーカーの原作の醍醐味と云えば、自己中心的なモンスター以外の何者でもない伯爵とヘルシングを筆頭にする善玉軍団の死闘を描くスリリングな描写。スペクタクルホラーとでも云うべき原作と、恋愛ペーソス全開のここでの脚色も全くの別モノだったと言える。 |
| ただ、トランシルヴァニア→ロンドン→トランシルヴァニアと云う時系列順でのスクリプトは原作を忠実に踏まえたもので、読書次元での想像力を具現化するかのような種々の場面は原作のファンにも受けたはず。ルーマニア入りしてボルゴ峠で伯爵とアクセスするジョナサンだが、その前段での伯爵を忌み嫌う地元の人々が登場する宿場のシーン(他の脚色版などではお馴染み)などは割愛されるものの、狼の群れが馬車と並走する中、御者に成りすました伯爵が怪力を発揮するシーンなどは原作のままで、遂に映像化されたかと云う感じ。ちなみにこの脚色版では、5月25日ブダペストからルーマニア入りするジョナサンだが、原作では「聖ジョージ」前夜の5月4日の話。逆に、後段での機帆船「デメター号」(「デメテル号」)が英国に漂着する日程については、原作では8月8日とされる中、ここでは6月~7月の出来事として描かれるが、この辺りの時系列の短縮化も、人間キャラのジョナサンが監禁されるシチュエーションの序盤では当たり前と云えば当たり前。無精ヒゲなどイメージにも影響を及ぼす微妙なメイクも割愛できる訳なので。 |
| 一方、以下の段落では、原作のようで原作とは異なるイメージの映像を連発させるのもここでの大きな特徴。まず驚かされたのは、伯爵(ゲイリー・オールドマン)がルーシー(セイディ・フロスト)を襲うシーン。あの狼人間のような風貌も他の脚色版にはなかったものだが、何より、強姦まがいの様相でルーシーにまたがるショットにはビックリ。これは、吸血行為をエクスタシーに置き換える既存の概念に反旗を翻すもので、これまでの定番に対する大反逆。と云うか、終盤ではコウモリ怪人姿の伯爵が瞬時にネズミの大群に変身するシーンなども飛び出すが、この仮面ライダーまがいの演出がコッポラの手によるものだったとは、正直、今だ信じ難い。と云うより、後年の作品にも大きな影響を及ぼすあの3人の女吸血鬼の登場シーンがあまりに傑出していたために、そのギャップの激しさに困惑させられたと云う事。 |
| そんなモニカ・ベルッチを筆頭にダイナマイトボディを披露する3人の女吸血鬼を筆頭に、吸血鬼と化してトップレスで迫るルーシーや寝巻き姿でスケスケのミナ(ウィノナ・ライダー)、そのルーシーとミナが雨の中でキスを交わすさり気ないカットなどサービスショットが何気に多かったのもここでの大きな特徴だが、これも「タッカー」の大失敗から巻き返しを図ろうとしていたコッポラの執念だったのかも。実際、キアヌ・リーヴスの起用についても、女性ファン獲得のためには必要不可欠だったと公にしていたコッポラだが、ただ、当時のキアヌ・リーヴスと云えば、とりわけ大スターでもなく、しかもここでの配役は、原作では純粋なロンドンっ子のジョナサン・ハーカー。始めと終わりが東欧を舞台にするスクリプトを考慮すれば、黒髪のジョナサンと云うのも決して悪くはないもので、実際ここでは、始めは黒髪のジョナサンもドラキュラ城を脱出する中盤以降は半白髪状態だった訳だが、何れにせよ、コッポラには市場を見据えた先見の明があったと云う事なのかも。ちなみにそのジョナサンとミナの結婚式のシークエンスでは、ルーシーの襲撃シーンを交差させる対極的な演出が功を奏しているが、これはコッポラのファンなら「ゴッドファーザー
(1972)」での「シシリーの晩鐘」をなぞらえたクライマックスや、同じくGFシリーズのPT2やPT3のクライマックスなどでも定番の演出。 |
| 定番と云えば、伯爵の宿敵ヴァン・ヘルシングや伯爵の下僕レンフィールドなどはさまざまな脚色版でもお馴染みのキャラクターだが、あのトム・ウェイツ演じるレンフィールドがここでは原作にも比較的忠実だった一方、豪放磊落で海千山千のキャラとして描かれるここでのヘルシングは、品行方正な紳士として描かれる原作とは全くの別人。ついては、ヘルシングとミナが別行動を取る終盤では、何と濡れ場寸前のシーンも登場するが、このヘルシングのキャラ色に手心を加える辺りについては、大方歓迎されたはず。仮に、ここでのヘルシングをあのピーター・カッシング派のキャラと想定してみれば状況も良く分かる。悪玉と善玉のシリアスな闘いに終始するようなシナリオだった場合、ややお気楽なヒーローと云うのも浮いてしまうものだが、ここでは、本来は超迷惑なはずの伯爵がヒロインのゲットに奔走すると云うお気楽なトーン。その傍らで働き蜂のように真面目一辺倒の善玉ヒーローを見るのもかなり辛い。実際、アンソニー・ホプキンス演じるお気楽なヒーロー像と云うのも、ここではかなりのアクセントになっていたと思うのだが。まぁ、5世紀越しでの愛妻との再会と云うモチーフをお気楽呼ばわりするのも抵抗があるが、刑法で云えば、バリバリ第1級クラスの連続殺人鬼が犠牲者たちの迷惑をも顧みずに大恋愛を成就させようって話なのだから、そんなお気楽と云うより能天気レベルでの排他的な精神構造にはフツーの感覚では付いて行けるはずもない。 |
| ちなみにここでは、超自然現象や他の形容も抜きにして「形而上学者」として登場するヘルシングだが、原作でも著名な輸血のシーンでは「人間での成功例は無し」と云うダイアローグも登場。時代設定もやや後年にスライドする79年の「ドラキュラ」などでは「血液型」に言及していたりするが、原作では特段の説明もなかったこの場面、やはり当たり前のような時代考証の足跡が見受けられる。一方、レンフィールドについては、その嗜好性を食物連鎖にリンクさせるモチーフも寸鉄のスクリプトで挿入される中、ミナに感情移入させた事で伯爵に惨殺される末路まで原作を踏襲しているが、原作と云えば、やはりここでの決定的な違いは、あの伯爵をデイ・ウォーカーとして登場させていた事。 |
| いわゆる「ドラキュラ伯爵」をデイ・ウォーカーとして登場させるのは、79年の「ドラキュラ」にも同じだったりするが、そんな掟破りの脚色も、ここでは伯爵がミナに接触するロンドンでの白昼のシークエンスを挿入するためだけのもの。ついては、あのカジュアルな伯爵のファッションなども、伯爵とミナの大ロマンスと云う原作の手を離れた微妙なテーマの副産物に他ならなかった訳だが、そんな伯爵のルックスについてはやはり微妙なイメージが付き纏う。と云うか、原作とは異なる独創性は評価にも値するもので、ましてや、あまりに著名な先代役者らの二番煎じでもしょうがない状況だったのも理解できるのだが、それにしても、のっけから登場するばあちゃんルックスの伯爵には絶句させられる。まぁ、そんなヨボヨボ姿からファッショナブルなルックス、狼人間やコウモリ怪人など、手を変え品を変えのバリエーションも楽しかったのは確かだが、如何せん「ドラキュラ」と云えば、変身術を除けば、硬派で不気味なイメージも限定される引き出しの少なさがその人気の由縁。ちなみに原作でも正に不気味一辺倒のイメージの伯爵だが、ここでも抑制して欲しかったと云うのがファンとしての本音だったりする。 |
| 伯爵と云えば、ここでの伯爵には影があるが、そのシルエットを駆使するここでの演出はかなり効果的。そんなシルエット演出も22年の「吸血鬼ノスフェラトゥ」で実証済みだったりするが、ちなみにシルエット演出も効果的な序盤、夕食の席で剣を振りかざして怒る伯爵のシーンは原作には無い。ジョナサンの傷口に伯爵が興奮する場面では、ゲイリー・オールドマンがフリーキーな演技のために酔っていたと云う逸話も残されているが、31年の「魔人ドラキュラ」でも著名な"Children of the Nights"と云うセリフについては、ここではジョナサンがドラキュラ城に滞在して数日後の場面で登場。ちなみに原作では、ドラキュラ城での初夜、のっけから放たれる名台詞だが、伯爵のロンドン移転の準備を手伝うジプシーの姿を監禁状態のジョナサンが目撃するシーンなど、序盤のシークエンスは原作に想像力を働かせていたファンであればかなり楽しめる。 |
| 土の入った50個の木箱を英国に持ち込む中、カーファックス区に10軒もの不動産を購入すると云う描写も原作にほぼ同じだが、伯爵狩りの様相を呈する終盤、その行方を追って各所に散らばる木箱をつぶさに調査するシーンは原作でもスリリングな見せ場の一つ。スクリプトの都合上、ここではやや性急な印象だったりもするが、ハーフヴァンパイア状態のミナが伯爵とのテレパシー交信で互いの動きを探る駆け引き的な様相については、ここでは編集効果の賜物でなかなかの見応え。ちなみに、トランシルヴァニアでのクライマックスでは、ジョナサンとアーサー(ケイリー・エルウィズ)は蒸気船での航路、クインシー(ビル・キャンベル)とジャック(リチャード・E.グラント)は6等の馬と共に陸路、ヘルシングとミナは汽車と馬車で乗り継いでの陸路と3手に分散する原作だが、ここでは、ヘルシングとミナはヴァルナから馬車での陸路、他の4名はガラツから汽車での移動と分かり易い設定。 |
| ヘルシングとミナの濡れ場寸前のカットも飛び出す中、3人の女吸血鬼を近づけぬために炎の円陣に避難する描写も原作にほぼ同じだが、馬を惨殺されたヘルシングが夜明けの城内で3人の女吸血鬼に止めを刺すシーンは、正に鉈を振り下ろしたような切れ味。と云うか、演出のスピード感を考慮すれば、これもなかなかの見応えだったが、ジプシー軍団との死闘を描く辺りに至るまで、総じてこれは原作のファンにも好評だったはず。ちなみにキンシー(クインシー)・モリスが犠牲になるくだりも原作に同じだが、云うまでもなく、続くエンディングは原作とは全くの別モノ。と云うか、個人的にはやはりこのクライマックスにはついて行けず。追跡からバトルまで原作の世界を堪能させられていた中、原作とは異なるここでのテーマを再び突き付けられたような感じだった。まぁ、愛の力が呪いに打ち勝つと云うテーマはものの見事に成就される訳だが、原作の一大オマージュとも言える骨子のシナリオだったが故に違和感も募る。 |
| 改めて云えば、原作の醍醐味は、悪党の中の悪党とでも呼ぶべき伯爵と善玉軍団の闘いを描く勧善懲悪トーンでのダイナミズムとスリル感。ヒロインを敬う男たちの上品なダイアローグなどストーカーのフェミニズムを投影する繊細な描写もその一端を担っていたりするが、仮にここでのように伯爵とミナの因果関係を描くのであれば、中間パートでのメロウな描写は一切が邪魔。伯爵とミナの因果関係を提示する冒頭はそのまま残す中、クライマックスに至るまでは暴虐の限りを尽くす伯爵と善玉キャラの攻防に終始、最後の最後で伯爵がミナへの慕情を瞬間的にのぞかせる中、それが仇となってヘルシングらに退治されるような筋書きであれば納得できたのかも。要は「俺たちに明日はない」に同じ。壮絶で無様な死に様じゃないとダメ。そもそもの話、ヒロインに見送られるような美しい死に様などサマになるような素材ではなかったはずなので。 |