| Introduction 序盤アウトライン: |
| 撮影中の事故で車椅子生活を余儀なくされカメラマンのジェフリーズは、アパート向かい棟で暮らすさまざまな人々の生活を観察する事を唯一の楽しみにしていたが、そんな中、中年夫婦の部屋からその妻が忽然と消えた事に疑問を抱くようになる。やがて、さまざまな状況証拠らしき痕跡にも辿り着く中、恋人のリザや訪問看護師の協力を得たジェフリーズは、殺人事件を前提とする独自の調査に乗り出すのだがーー |
| Various Note メモ: |
| カメラマンが抱く疑心とその真相を万華鏡のような情景を織り交ぜながら一つの視点で見せ上げる名作サスペンス。「夜は千の眼を持つ (1947)」「暗くなるまでこの恋を (1969)」のコーネル・ウールリッチ (Cornell Woolrich)の短編小説"Murder from a Fixed Viewpoint"を「泥棒成金 (1954)」「ハリーの災難 (1955)」「知りすぎていた男 (1956)」のジョン・マイケル・ヘイズ (John Michael Hayes)が脚色。ジェームズ・スチュワートを主演に擁する脚色は「雷鳴の湾 (1953)」以来2度目。製作と監督はアルフレッド・ヒッチコック。 |
主演は「素晴らしき哉、人生! (1946)」「ロープ (1948)」「怒りの河 (1951)」「知りすぎていた男 (1956)」「めまい (1958)」のジェームズ・スチュワート
(James Stewart)。共演は「泥棒成金 (1954)」「ダイヤルMを廻せ! (1954)」のグレイス・ケリー (Grace Kelly)、「私は殺される
(1948)」「嵐に叛く女 (1953)」のウェンデル・コーリイ (Wendell Corey)、「三人の妻への手紙 (1949)」「イヴの総て
(1950)」「足ながおじさん (1955)」のセルマ・リッター (Thelma Ritter)、「陽のあたる場所 (1951)」「豪傑カサノヴァ
(1954)」のレイモンド・バー (Raymond Burr)、他。
以下、完全ネタバレ。未鑑賞の方はご留意下さい。 |
| ここでの主人公は、カーレース撮影時のアクシデントで長期間車椅子生活を余儀なくされた雑誌カメラマンのジェフリーズ(ジェームズ・スチュワート)。アウトラインについては周知の通り。アパート向かい棟のウォッチングを唯一の退屈しのぎとしていたジェフリーズが一人の中年男に女房殺害の疑いを抱く中、さまざまな障害を乗り越えて遂には犯行の一部始終を暴くと云うもの。主人公とヒロイン、主人公をケアする看護師(セルマ・リッター)などによる粋でウィット全開のダイアローグで全編が彩られる中、一方ではパノラマのようなアパートの情景を淡々と描く映像は、おおよそサスペンスにも程遠い印象すら受けるが、よくよく考えてみればこれは物凄い内容。 |
| 個人的にはレトロな名作に傾倒している訳でもなく、演出のスキルも格段に進化を遂げた昨今の作品を差し置いてまで古典作品を持ち上げる気もないのだが、まずここでは、映像の視点も主人公の部屋から捉える一点のみだったと云う事。クライマックスの1~2分間では部屋から飛び出す主人公だが、大方の110分間もご近所の観察と主要キャラのダイアローグで占める中、いきなりクレッシェンドする終盤わずか数分間での緊張感+アクションのみでサスペンスに昇華させてしまうと云うウソみたいな内容である。ちなみに、ウールリッチの短編には登場しないヒロイン(グレイス・ケリー)の活躍でがぜん盛り上がるクライマックスだが、そんなヒロインと主人公のダイアローグで彩られる脚色+全くブレのない珠玉の演出が見事に昇華するこの内容、同じ土俵に立てるような作品も個人的にはなかったりする。と云うか、サスペンスを基調にしながら、下町のような情景+ウィットで約2時間も見せるような映画などチョット記憶にもないと云う話。 |
| 本タイトル以降、「泥棒成金 (1954)」「ハリーの災難 (1955)」「知りすぎていた男 (1956)」とヒッチコックとの仕事を連発する脚色のジョン・マイケル・ヘイズだが、アーカイヴ映像での彼のインタヴューが結構面白い。当初はヒッチコックとの仕事など想像も出来なかったと云うヘイズだが、ここでの初仕事のキッカケとなったのは巨匠からお呼びが掛かった会食での出来事。どの作品が好きかと訊ねられたヘイズは、「疑惑の影
(1942)」と即答したらしいが、実はこれも、兵役時代にヘイズの兵舎にストックされていた唯一のフィルムで、1日3回数十日間に渡って鑑賞されていた中、内容を熟知していたため。ついては巨匠の演出ミスをも指摘する中、その場は大いに盛り上がるも、逆にヘコんで家路に着いたと云うヘイズだが、その辺りはさすがに巨匠。出来る人材と見なされたヘイズは、その翌週の頭にはマネジメントを通して正式オファーを受けたらしい。 |
| そのヘイズ曰く、「干渉されずに自由に出来たのでヒッチコックとの仕事はやりやすかった」との事だが、ヘイズの持ち味と云えば、極上のウィット感覚。かつてのヒッチコック作品では、一部の作品を除けば無用にも思える大衆的な感覚でのウィットだが、そんな新鮮味もここでは申し分なく開花。と云うより、時代のニーズに応えるべくヘイズを起用したヒッチコックは、人選の時点で最強の嗅覚を発揮していたとも言える。下書きだけでGOサインが出される中、第2稿までを書き下ろしたヘイズは、以降、ヒッチコックと共にスクリプトの場面分割を手掛ける中、当初は200~300だった場面を600程度にまで拡大しているが、この辺りの話だけでも裏話としては充分なネタ。主人公の部屋から向かいの棟を覗き見るだけのイージーな状況設定の下、ここまで緻密な仕事をされれば、作品が面白くないはずもない。と云うか、凡庸な感性では大コケするような仕事ながらも、その結末はご覧の通り。 |
| さまざまな衣装を身に纏うグレイス・ケリーのパフォーマンスもここでの大きな魅力だが、「『ダイヤルMを廻せ! (1954)』ではやや硬い演技で学生のようにも見えた」と語るヘイズは、その魅力を最大限引き出せるように注意を払ったらしい。ついては、車椅子に座る主人公相手に快活に振舞うヒロインの描写が大挙挿入されていたのもその辺りの理由から。最終的には、巨匠の演出の下で美しさとウィットが融合する珠玉の名カットが大挙生み出される訳だが、これがサスペンス映画の中での出来事だったのだからマジでやられる。と云うか、ヒロインの愛らしさと主人公への一途な思いが徐々に膨れ上がる中、ヒロインの暴走で一気に窮地を迎えるクライマックスに至れば、本筋そっちのけだったようにも思えるメロウな演出も一気に開花。この辺りにもマジで脱帽させられる。そんな最終盤での主人公が窓から落ちるシーンも絶大なインパクト。異次元に吸い込まれるかのような合成特写は、昨今の特撮などとも異なる鬼気迫るものがあるが、ようやく部屋を飛び出したカメラが辺りを映し出す光景には筆舌尽くしがたい開放感も。と云うか、これもいきなり視点を変えていただけ。ここまで吹っ切れさせてくれるハッピーエンドも個人的には記憶になし。終始、主人公のストレスをそのまま背負わされていた訳なので。 |