| Introduction 序盤アウトライン: |
| 徳川家康が江戸に幕府を開いた頃、戦乱の中で親を失い小幡月斎に拾われた幼子あずみは、仲間の孤児と共に最強の戦士となるべく過酷な修練に身を投じていた。月斎は「罪無き人々の幸せを奪う惨い戦を集結させる為、反乱を起こそうとする者を事前に抹殺する最強の戦士を育成して欲しい」と云う徳川の密命を受けていた。10年の歳月が流れたある日、月斎は修練の終了を宣言すると同時に、その使命を胸に希望と闘志を漲らせる10人の戦士たちに仲間同士で殺し合えと言い放つ。そのあまりにも過酷な試練は、殺す相手を選ぶ事など出来ない刺客としての非情な使命を全うする為に与えられた完全な戦士となるべくしての最後の修練とも言えるものだった。殺し合う為の相手がそれぞれ決まる中で、意図せずにあずみと対峙していた人物は、かねてからあずみが仄かに想いを寄せていた少年戦士のなちだったーー |
| Various Note メモ: |
| あまりにも鮮烈な殺戮描写と過酷で壮大な内容が読者の心を鷲掴みにした原作漫画は、94年の連載開始当初から大絶賛されてきた。03年2月の時点で800万部を売り上げたと云う単行本も本作の劇場公開を契機に青天井の勢いでその売り上げを伸ばしていると云う事は云うまでも無い所。98年には第1回文化庁メディア芸術祭賞漫画部門で優秀賞、第43回小学館漫画賞のダブル受賞を果たし、その人気の高さとクオリティーの高さには太鼓判が押された作品である。 |
| この原作の映像化プランについては幾人もの映像作家による企画が検討されていたものだが、過激にして気高き世界観、個性的な配役、何よりその壮大なスケールに実現化が阻まれてきた為に実現には至らなかった。しかし、2000年の冬、夕張映画祭で「VERSUS」を観劇し衝撃を受けたと云う本作の山本プロデューサーがその場で北村監督と会談、その映像センスで原作を超える映像世界を創造出来ると確信した事で実現した作品である。長編監督デビュー作の「VERSUS」が世界中の映画会社の注目を浴びた北村監督はハリウッドのミラマックスとも監督契約を結んでいる。 |
| 「世界に向けて日本のチャンバラがどれほどカッコのいいものかを見せてやりたい」とは北村監督の弁だが、その意気込みも充分に伝わる迫力の殺陣シーンが満載の作品である。屈強な暗殺者を演ずる若手俳優たちの細身の身体つきにも違和感は無い。ヘビー級並の握力を持つフライ級ボクサーや見た目ごく普通の人と云った細身のジャークの選手なども実在する事を考えれば全く気になるものではない。実際に、飽食などとは無縁だった当時に於いて活躍した忍者などは劇中に登場するキャストのような身体つきだったのではないかと想像も出来る。大昔にTVで見た時代劇で、実際の殺陣に於いては人一人を切り刻めば刀に付着する脂肪分によって二人目を相手にする事すら容易ではないと云った論理を展開し、いちいち刀を拭きながら戦うと云う主人公が登場する時代劇番組があったりもしたが、それでは日本の大衆娯楽である「時代劇」そのものを否定する事になってしまうもので、血湧き肉踊る活劇は成立しなくなってしまう。田んぼの畦道を利用したりと策を戦略を練った上で、多勢に無勢の殺陣を実戦した宮本武蔵のような剣豪も日本には実在した訳だが、この作品で描き出されるエンタメのテイストは、不死身のスパイが世界を渡り歩くと云う007にも向うを張った極上の和製エンターテインメントなのである。 |
| この作品を観て真っ先に思い浮かんだと云えば、小山ゆう氏原作の「おれは直角」。「直角切り」で相手をなぎ倒す武術大会や自宅蔵での練習場面をワイヤーアクション等の近代技術を駆使して映像化すれば、相当に面白い作品になるのではないかと思ったりもした。しかも「おれは直角」はコミカルなアプローチに留まってはいない。当時の身分制度を背景にした確執や、江戸に対して策謀を巡らす地方都市の集団などとの打算的な垣根を超えての友情を描くと云う大ロマンが展開される作品である。本作「あずみ」などと比較すれば、若手俳優による等身大の演技をそのまま活かせるようなモチーフである為に、キャスティングなども容易だと思うのだが。映画にはならないものだろうか。 |
| 作品の中心に配される若手俳優陣の熱演はもとより、いつもながらの抜群の切れを見せる遠藤憲一、その名前の如く怪しいまでに輝きを放つ北村一輝と云った競演陣も魅力充分。ちなみに、本作のDVDセールスは、座頭市の認知度が極めて高い英国でも好調を維持。 |